批判と非難

大学の日々のクラスでは、「批判」が繰り広げられています。
Critical Thinking「批判的思想」というものです。
様々なエッセイ、記事を読み、これは事実なのか?または作者の意見なのか?
事実であれば何を持ってそのように言うのだろうか?
そしてこのエッセイの内容に賛成?反対??
その理由は?どう考える??という感じです。
勿論、自分自身の書いたエッセイであっても賛成、反対、私はこう考えます、、、
等と「批判」を行います。
しかし、賛成が正しいとか反対が間違いなんて事を言っているのではありません。
教授でさえもそんなことは言いません。
自分自身の観点(見方)、そして他人の見方を建設的(前向き)に客観視する、
シンプルに言えば、
「へえーそんな見方もあるんだ!面白い!」という感じです。
ですから授業が終わった後も
「君の意見は刺激になったよ、有難う」とか「もう少し聞かせて欲しい」
という状態にもなります。
漢字の意味も「批」=事実を付き合わせる 「判」=見分け定めるです。
理想的に思考過程を改善させる(気付きを与える)為のお互いの情報提供
のようなものそれが「批判」です。
一方「非難」とは
君は間違い❌、意見を変えなさい!、、、、と言われている(言っている)事です。
「批判」は様々な観点を客観視し理想的な方向へと導く前向きな取り組みです。
「非難」はYesかNoか、正しいか間違いか、という二元的なものでしかありません。
もし「批判」を「非難」と同じであると捉えているならば
カウンセリングやヒーリングでのやり取りは「非難」ですよね?
しかし、カウンセラーやヒーラー、そして周りの友人たちは「君は間違い❌」
なんて言っていませんよね?
その方にとって理想的な方向となるように、
様々な提案、情報提供を行っているのですから。
様々な人々の意見、提案は「批判的思想」であるにも関わらず
「「非難」であり自分は❌だと言われている」と感じているのであれば、
「自分が⭕️で相手が❌なのに」と思っているから、、、
つまりそれこそが「非難」になっているのではないでしょうか?
我が家でもそうですが夫婦で日々「批判」をし合っています。
私の意見も主人の意見も取り入れた見方は刺激的で面白いものです。
大切な人を「非難」することは出来ません。
All My Relations,
YUK0