祈り

「祈り」に対する観点について。
ブログより何度となく似たようなことを書いていますが、
「祈り」とは大いなる存在(ユニバース、神、皆さんそれぞれが感じる存在、、、)
とのコミュニケーション、いわゆる会話です。
以前、私もホームページより、満月の日や新月の日などに「祈りを捧げます」
等いう告知をしていましたが最近は全く出来なくなりました。
いえ、する必要がなくなったと感じています。
繰り返しますが、祈りとは会話、コミュニケーションです。
例えば、大切な存在(パートナー、友人)に対して
言いたくても言えない事があったとしましょう。
それを誰か(第三者)が代わりとなり、
対象者に伝えた(伝えてあげた)とします。
それを聞いた対象者からすれば
「なぜ本人が言ってくれないのかな?」
と疑問になるものではないでしょうか?
私が「祈る」というのはあくまでも私と大いなる存在との会話なわけです。
その場にて「⚪︎⚪︎さんの⚫︎⚫︎という思いを伝えます」
と言ったところで感じられるもの(何らかの反応)はありません。
そのような事を繰り返しながら感じました。
「自分自身の事は自分自身で祈る(会話)をして下さい」
という事です。
皆さんの祈り(会話)を代わりに私がしたところで
それは大きなお世話になることと思います。
皆さんそれぞれが可能である「祈る」という行為を奪いたくありません。
私が大いなる存在との会話(祈り)において行うことは私の会話でしかありません。
合わせて、その会話(コミュニケーション)を事前に「何時、行います」という
告知すら必要がないと感じています。
私が大いなる存在との祈り(会話)の中で行えることがあるとするならば
それは、
「何時でも自由に、楽に、皆それぞれが直接会話を行うことを「願っています」」
というような祈り(会話)となるのみです。
All My Relations,
YUKO