①自分なのか他人なのか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のブログは2つに渡って書き記しています。

まずは①「自分なのか他人なのか」

そして②は昨日も予告した「子が親を選ぶ」についてです。

 

〜「自分なのか他人なのか」〜

こちらもセドナで感じたことになります。

 

自分自身は楽しいのに何故こんなに悲しい気持ちになる?

なぜこんなにイライラするんだろう?

何もないのになぜ落ち込む??

 

そこから引き続き考えること、、、

これは私から溢れ出る感情なのだろうか?いや私ではない!

他人の何かを吸収(共感)しているだけなのだ。

 

やがて決断したことは、ひとりが良い、

本当に安らげる誰かであればまだしも。

ですからひとり旅を繰り返してきたわけです。

 

しかし、振り返ってみると

自分の感情なのか?他人の感情なのか?なぜ分ける?

それを知る必要があったのだろうか?という事です。

 

自分と他人を分けたかったのでしょう...

正当化したかったのでしょう...

自我を確立したかったのでしょう...

もう、必要ありません。どれでもいいのです。

 

スウェットロッジで自身の最大の「恐怖」と向き合わされた時

これらの内容も同時に目の前に現れました。

すごくアホらしくなりました。

 

自分の感情か他人の感情か

そんな事はどうでもいい。

それらの発信元がどこであっても構わない

イライラし、不機嫌になり、泣いたり、笑ったり、哀しんだり、

そのままを表現すればいい。

これも「我(われ)」の確立から制限の1つだったわけです。

 

自他の境目を持てないなんてなぜ?

自分の学びが足りない?弱さ??

責め続けた時期もありました。

 

しかし、スピリットであろうが

様々な感情であろうが

どうぞ私のテンプルをご利用下さい。

 

今はこんな気持ちです。

 

All My Relations

YUKO