「素」(初心、本質)に還る

前回6/14「信じるために」の内容で書かせて頂きました。

「信じられる自分を感じるには「素」になる事が必要です。忘れたらまた「素」に還る(初心に還る)の繰り返し、繰り返しです。」と。

「素」に還るについて今日はもう少し詳しく書かせてもらいます。

「素」には「本質」という意味もあります。そしてヒーリングとは「素」に還るための言わばお手伝いです。

例えば、朝目が覚めてから、歯を磨きます。そして冷たいお水で顔を洗いますよね?これは今日という新しい日をスタートさせる、「素」に戻る行為の1つです。

神社で参拝する前に手水舎で手水を取り、左手、右手、左手で口を、次は口を付けた左手を清めるというような手順で穢れを落としますよね?これも「素」に戻る行為の1つです。

スピリチュアルレベル(霊的レベル)から人間の魂にアプローチをするヒーリングを行う際の私の役割は上記に書いたいわば「水」の役割だと思っています。朝一番で顔を洗う「水」、手水舎で手や口を注ぐ「水」の役割です。

洗い流し、そして清々しい気持ちでスタートさせる。「穢れ」を洗い流すと書きましたが、「穢れ」とは良いもの悪いもの、汚れているものと言っているのではありません。清々しい気持ちを再度確認するために、不安になってしまったり、憤ってしまったりしたことを解放させるということです。

例えば清々しい気持ちで決意したことがあるとしましょう。しかし、日々過ごしている内にその決意に対し不安を感じたり、疑心暗鬼になってしまったり、自分が決意したことは間違いだったのかと自信を失くしてしまったり…。更には何を決意したのかも、そして清々しい気持ちや感覚さえもすっかりと忘れてしまう。

さてこのような時は再度清々しい気持ちと自信、そしてエネルギーがみなぎる状態を改めて感じなおしたいものです。「素」に還る(初心に還る)時です。

まずは日々を過ごす中で感じてしまった不安や憤りなどを表現することが必要だと思います。そしてこれら(いわゆる穢れ)が全て解放された後に、清らかな言葉が口から自然に発しられるように最後にお水で口を注ぎましょうというのが手水舎で行う清めの行為の意味になります。

念のため、神社参拝とは決意したことを「私はこのように生きます」と宣言(報告)に行くところです。「どのようにすれば良いですか?」「願いを叶えて下さい」等と神様に求めるところではありません。

神道においては「神様とは私たちの先祖である」と捉えています。シンプルに言うならば全てが神なのです。ヤオヨロズの神と言うように全て(樹々、花々、大地、動物たち etc.)神が宿っています。ですから神様という先祖をもつ私たちは皆家族なわけです。

そして自分自身の初心を宣言した際、神様はこのように答えられるでしょう。

「わかりました。受け止めました。あなたの責任でやって御覧なさい」と。

「やってごらんなさい」、つまり行動するのは私たち一人一人です。なぜ「やってごらんなさい」と返されるのでしょう?

それは私たちの「素」は神だから同じ神と言う立場で返されるのです。

さて、話を戻します。魂にアプローチする際、「素」(本質)に還るためのお水を注ぎます。ですから注がれている間は「穢れ」を口に出して下さい。

魂にアプローチするヒーリングを行う際、この「穢れ」を表現して下さる方ほどお水はたっぷりと注がれる、そのような感覚をいつも味わっています。逆にこの「穢れ」を悪と捉え、口に出すことを躊躇される方ほどどうやら注がれるお水もまた乏しいような気がします。

こちらアイダホはここ数日間ずっと雨続きでした。昨日の朝はようやく雨も止み、清々しい空気がとても気持ちよく、深く深呼吸をしました。

今日は「素」に還るとは?についてイメージで捉えられるように説明をしてみました。

どうぞ清々しい1日でありますように。

 

NIBIWABO

 

YUKO