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約2週間ぶりの更新になりました。1日1日と春を感じることが多くなりました。皆さん如何お過ごしでしょうか?早いもので間もなく桜の季節がやってきます。
さて、今日は⇩についてです。
私たち人間は「その経験から何を学んだのか?」「何を学ぶためにそれを体験する必要があったのだろうか?」と考えがちなものです。勿論、私自身もその癖から完全に卒業したと言い切ることは未だに出来ません。
その思考の根底にあるものは『絶対に何かあるはず!!見つけなければまたこの経験を繰り返すことになる』『無意味なものなど何もない』というような感じでしょうか…??
そして、一生懸命にその「学び(意味)」を見つけようと試みます。その後、自分にとってしっくりとするものが見つかると、ようやく納得し(納得した気分になる)ホッとする。
いつも体験(経験)した事から「学び」を見つけることがどうやら癖になっていませんか?
そしてその「学び」が見つかるともう繰り返す必要がなくなると思い込むことも同じく癖になっていませんか?
特に苦しい状況にいる中、ポジティブな学びを見つけることはかなり辛いものです。病気になった時に「ポジティブな学び」を見つけようとしながら更に自分自身を追い詰めていく方々も少なくないと思います。
例えば、「感謝の気持ちが足りなかった」「体の声にもっと耳を傾ければよかった」etc. 学びなのか、反省なのか、後悔なのかわからなくなってきてしまい更にモヤモヤしてしまったりすることはありませんか?
そんな時に私はよくこのような方法を使います。
それは、
『「学びなし」という学びだったんだ』以上!
「必ず何かがあるはず、見つけなければ」「意味がないのに体験(経験)なんてしない」これはある意味「執着」ではないでしょうか?
「学ぶことがないという学び」これも立派な学びです。
もし、しっくりこないようでしたら少し言い方を変えて、
『「学ぶことがない」ということに気づく体験(経験)をした』これで如何でしょうか?
その体験(経験)に対して大笑いと感謝をし、是非大自然に飛び出しましょう。
風の匂いが春めいてきました。青空の色が変化してきました。小鳥たちも歌い始めました。
私もこれからその美しさを感じるためににクラスをたまにはサボって出かけてきます〜
NIBIWABO
YUKO