「我(われ)」の確立に関わる誤解
※ 写真は今日の雲(地上から上空に向かうように噴射する雲が広がっています)
今日から数日にわたり6/28〜7/1までのセドナでの旅の気付きを書き留めたいと思います。
〜最終日の夜に行なったスウェットロッジにおいて〜
スウェットロッジとはネイティブ・アメリカンの伝統的な「再生の儀式」です。
行なわれるティピの中は子宮の中と捉えられています。
またティピの中は外界を映し出す鏡とも言われます。
今回のスウェットロッジのテーマはその儀式をナビゲートするハミングバード
(私が共に1ヵ月を過ごした女性です)によると「恐怖」でした。
参加者それぞれが感じた恐怖についての内容はわかりません。
私個人についての内容となります。
ハミングバードのスウェットロッジは私にとって今回5回目。
その今回が最大に苦しかったは言うまでもなく。
さて、私の最大の恐怖とは、、、、
「我(われ)」が無くなること。
肉体を何者かに明け渡す、乗っ取られることにありました。
「これは私の肉体!絶対に操られてたまるものか。」
という感情が繰り返し沸き上がってきました。
その気持ち悪さにより、珍しく吐きそうにもなりました。
さて、ネイティブ・アメリカンの間では肉体は借り物であり
「テンプル」だと言われています。スピリットが住むテンプルなのです。
スピリットが住みやすいように整えること、
これがすなわちマインドの解放だったりするわけです。
スピリットがテンプル(肉体)に宿ればあとは委ねればいいのです。
そんな話は前々から耳にしていたにも関わらず「我(我)」の確立の勘違いにより、また
「肉体に入り込むとは、低級霊の仕業である」
これが完全に私の想像した思いこみである事に気が付きました。
ですから私という肉体のテンプルのドアを解放する事=明け渡す事をNOとしていたようです。
現在はテンプルを明け渡しました。
しっかりと私の中にはスピリットがどうやら私を選び住み初めてくれている様子です。
以前とは違う感覚です。
子が母を選ぶようにスピリットが私を選んでくれたのでしょうか.....
私がこれから向かうステージは完全なる「委ね」のステージになることと思います。
明日は子が親を選ぶという内容について。
All My Relations,
YUKO