ステレオタイプにならない

もう既に25年前になるでしょうか。勤務をし1年に満たない会社を辞めたことがあります。原因は社長と意見が合わなかったからです。その時、彼は「私がもしカラスは白だと言ったら、社員もカラスは白だど言わなければならないのだ」と言いました。その一言で私は「絶対にカラスは黒だと言える人間でいる!」と決意をし辞めました(笑)。

小さな頃からアンデルセン童話の一つ、「裸の王様」が大好きでした。幼いながらに「私も王様は裸だ」と言える人でいようと思っていたのかもしれません。

さて、今日は「ステレオタイプにならない」についてです。

ちなみにステレオタイプとは「判で押したように多くの人に浸透している先入観、思い込み、認識、固定観念やレッテル、偏見、差別などの類型、紋切型の観念である」と書かれています。個人的にはこれを「納豆の法則」とも言っています(笑)。

どんなにベストセラーの書籍であっても、どんなに行列の出来るお店であっても、どんなに評判の良いカウンセラーであっても、どんなに人気のブロガーであっても、、、確かに大勢の方々にとっては「YES!」なのでしょうが、(もしかすると大勢の人の中にもなんだか疑いを持ち「王様は裸だ!」と言いたいけれども言えないと思っている人がいるのかもしれませんが…)実際、それらはあなたにとって、どうなのか?ということです。

あなたにとっては書店の片隅に置かれている1冊の本が心に響くかもしれません。人知れずひっそりとたたずんでいるような、そんなお店が何だか心地が良いかもしれません。もしかすると毒舌なカウンセラーが目の前の苦しみを解放してくれるかもしれません。

最近「王様は裸だ」と叫びたくなるようなそんな事が私にも起こりました。どんなに「素晴らしい」と人々が言おうが、「一度行く価値あるよ」と言われようが、「清々しくて気持ちいいよ~」と言われようが、「有名だからとか世界遺産だから」とか、どんな情報や評判を目にしようが耳にしようが、神社巡りは私にとってはNo, thanks!です。

私にとってみればそこにあるのは「人々のすがりつくような」「努力もせずに拝みこむような」「行けば何か与えられる」とか「呼ばれている」から等という「???」と感じるようなそんな感情たちのたまり場のような気がしてなりません。「それは、あなたの感じ方がおかしいのでは?」と言われたとしても、私にとっては「必要はありません」。そして同時に幼い頃大好きだった「裸の王様」の物語を思い返しました。

「自分にとってはどうなのか?」と感じること、それに従うことは、誰かを否定するわけではありません。様々な人々の感じ方を良い悪いではなく、また意見が合わないから縁を切るとか、同じだから友達のままでいるとかでもなく、批判をするとか、肯定するとかでもなく、自分自身はどうなのかをただ感じれば良いのです。

そして、「王様は裸だ」と言ってもあなたは大丈夫です。何故なら「言いたいのに言えない」と感じながらも行動できない人々、迷子の人々が実際は大勢存在するのですから。と私は感じています。皆さんの感じ方は自由です。

人気がある、儲けている、評判がいい、皆が集まる、有名、売れている、流行である…王様だから….,,、、、笑い飛ばしてみることも必要かもしれません(笑)。

あなたはステレオタイプであり続けたいですか?ステレオタイプに喜ばれたいですか?

NIBIWABO

YUKO