真の平和

朝、目覚めた後最初に行う事、それはコーヒーを飲みながらインターネットで国際ニュースに目を通すことです。

昨日の朝は「北朝鮮のミサイルが、EEZ内に落下」とのニュースに動揺しました。私の実家は富山県です。両親を始め親族達は皆富山県に住んでいます。娘は東京で一人暮らしをしながら仕事をしていますし、主人の親族は東京に住んでいます。娘にはスカイプからメッセージを送り、そして両親に電話をしてみましたが応答はありません。

米国人の友人が言いました。「日本人は米国を信頼し過ぎている」と。別の友人はまたこのように言います。「地球の裏側で起こっている事だから正直大した問題ではないと思っているだろう」等と。

私個人の意見を書かせて頂きます。

皆さんは「平和」と聞いてどのように感じますか?

『平和とは守る能力があるからこそ、感じることが出来るもの』だと思います。

万が一の時に側にいるパートナーを守れること、家族を守れること。少しイメージをしてみて下さい。

誰かに頼り委ねていては真の「平和」を感じることは出来ません。助けられる事、支えられる事や守る事が出来る強さがあるからこそ「平和」があるのです。

誰かにまたは何かに守ってもらおうと思っているのであれば、それは「平和」を放棄しているように思えます。シンプルにいうならバランスのとれたギブアンドテイクが「平和」には必要なのです。

物理的な事を言っているのではありません。心の問題です。

本来私達日本人は「誰かが守ってくれるから」と他力本願な民族だったでしょうか?戦時中は占領した他の国をも日本のように住みやすくしようと環境の改善などに尽力を注いできた民族です。植民地化を許さず共に過ごしやすく生きようとしてきた民族です(真実は残念なことに正しくは伝えられていませんが)。これはまさしく日本人の7つの精神性の一つ「仁」の心です。

戦時中女性達は男性達が留守である間家族や国を守ろうとナギナタを学びました。私の祖母もそのような勇ましい女性の1人でした。これは「勇」の心です。

今回の事件に関する日本人の方々の様々なコメントも拝見しました。「完全に舐められている、これが日本の現状だ。今の日本は惨めなものだ」に似たコメントが数々あげられていました。これは「名誉」誇りの心です。

数年前に例えば似たような事を口にすると「そんなことを考えられる程暇なの?」とか「余裕があるね」等と言われたものです。

「日本人は平和ボケ」と言われています。仮想平和にコントロールされた「平和ボケ」だったのです。

真の「平和」を感じられるよう、やはり繰り返しながら本来の「誇り」を思い出したいものです。

先祖代々から受け継いできた7つの精神性(前回のブログに書かせて頂きました)を皆が思い出し始めたことを嬉しく思います。そして一人一人が出来る小さなことから是非まずは行動に移してみませんか?

現在私が意識をし、行動している事は以下です。

それは、実際に米国では「日本人は言い返さない」と思われがちです。このようなレッテルを貼られることは喜ばしい事ではありません。ですから納得が出来ないこと、理解に苦しむ事、不快に感じることはどのような些細な事でも質問する、伝えるようにしています。何度でも。(実際に大学での試験や課題の評価でさえも納得がいかないことがあり、その事を伝え説明を求めたところ点数がもらえたことが1度ではありません)

「7つの日本人の精神性を外国人に対して表現していく、教えていく。」これが私が決意をし続けていることです。

真の「平和」をお互いに感じましょう。

 

NIBIWABO

YUKO