自然に身を任せる、委ねるとは

ネイティブアメリカンの人々は言います。「我々人間はクリエイターが創造した大自然の一部分である。人間だから偉いというわけではないのだ。」と。

また、彼らは言います。「人間の役割はマザーアースのケアテイカー(世話役、管理人)である。勝手に自分達の都合の良いように作り変えたり、または無責任に汚したり破壊したりするのではなく、全体のバランスが保たれるように維持、管理をしていく存在なのだ。」と。

さて、今日は「自然に身を任せる」「自然の流れに身を委ねる」とは?に関して書かせて頂きます。

これらの言葉は何かを相談した際などに、第三者からのアドバイスとして良く耳にするようになりました。皆さんはこれらの意味をどのように受け止められているでしょうか?

前回6/6のブログにも似たようなことを書かせて頂きましたが、「自然に任せる」とは、例えば問題が発生した時に「向き合いたくない」「考えたくない」という感情(もしくは思考)に任せて放っておくことではありません。向き合いたくない、考えたくない、このような感情を「自然」と捉え、「このままの状況で過ごせば良いのだ」等と思い込んでいませんか?

また更にこれらの感情を「『今は時期じゃない』という信号なのだ。であれば自然に時期が来ることを待とう」等と都合よく捉えていませんか?

「自然に身を任せる、委ねる」とはこの地球上においての「大自然の不変性」に合わせて生きていくということなのです。私たち人間も大自然の一部ですから大地や樹々や植物達と同様です。

「大自然の不変性」とはどういったことを指すのでしょう。例えば、

朝があれば夜もあるということ。

ですから太陽と共に目覚め、暗くなれば眠るということです。

 

気温、気候が変化をするということ。

寒い時には暖かくし、暑くなれば薄着になり調整していくということ。

 

生きるためには食べるということ。

植物達は太陽の恵みを受け、そして水分を摂取して生きています。我々人間もお腹が空いたら食べること、喉が乾いたら水分を取ることです。

 

いずれ命は尽きる(老いていくということ、朽ちていくということ)

1日24時間、皆に平等に与えられた時間を「1日1生」(今日1日を自分の一生の最後の日だと思って大切に精一杯生きる)という気持ちで過ごしていますか?誰も何時最期の日が訪れるのかはわかりません。死は大切な生の一部です。

 

昔からもこれからも、変わらぬ「大自然の不変性」に合わせて生きるということがすなわち「大自然に任せる、身を委ねる」ということなのです。一見簡単そうですがなかなか難しいものです。

もし、変わりやすい自分自身の思考や感情に自分自身が振り回されコントロールが出来ない状態に陥りそうな時、または自分勝手に都合良く状況を捉えているかもしれないと不安になった時は、今一度大自然の一部として生きているかどうかを見つめてみて下さい。その方法こそが上記に書かせてもらった「自然の不変性に自分が合わせる」という事です。

日々目まぐるしく変化し続けるものに合わせていけるしなやかさとは、変わらぬもの(不変)に対して合わせられる強さがあるからです。樹々や植物が大地にしっかり根付く事=不変に合わせる強さ、そして倒れることなく折れることなく風の流れる方向に合わせて揺れるしなやかさがそのイメージです。しっかりと根付いているからこそ、どの方向にも身を委ねていられるわけです。

 

NIBIWABO

 

YUKO